Sam Powell

子供のころに作っていた年賀状。手書きも大切だけどはんこやシール。どのようなもので作成していたか等。

年賀状の伝える心

子どもの頃からそれなりに年賀状は出してきました。受け取ってもきました。
しかし、受け取る方はともかく、出すのは、とてもとても、気億劫でした。しぶしぶでした。嫌でした。
毎年12月が近づくと「ああ、また、年賀状の準備をしなけばならない」と気が重くなっていました。
字が下手だからです。書くのが気にならない人、字が上手な人が聞いたなら、きっと、呆れ果てるような理由だろうと思います。けれど、本当に苦痛なのでした。
礼儀上出さないわけにはいきません。裏面だけなら、印刷や版画などで何とか恰好はつくのでした。
問題は宛名です。表です。毛筆が上手だったら、どんなにいいだろうと思いました。子どもの頃、もっと真面目に 習字の練習をしていたら、へたであってっも、それなりにかけるようになっていただろうのになあ、と後悔したこともあります。
私には因果なことに字の上手な友達が多いので、尚更気が引けて引けて、過去に受け取った年賀状と比べて、溜息が出るようでした。
けれども、最近は、これが、大逆転です。年賀状を書くのが、とても楽しいし、ここ数年、この季節を楽しみにさえしています。
パソコンのおかげです。字の下手さなど、関係なくなりました。パソコンで自分の好きなように文字の大きさから、色から、種類まで変えて、絵やデザインも写真もなんでも選べて、作業はとても楽で楽しいものです。宛名書きも毛筆風ですもの。自分が書いたような気分になって喜んでいます。
もちろん、パソコンが普及する前だって、ワープロやプリンターその他を使って、パソコン作成同様な見事な年賀状は、家庭でも作成できることは知っていました。
けれど、何百枚も作るわけではないので、わざわざ、買う気までは起きなかったのです。
そういえば、この頃は年賀状作成の本が大変よく売れると聞いたことがあります。手作りの、といっていましたから、パソコンを使用したものだけではなく、自筆でというものの方が多いのかもしれません。絵手紙なども人気の時代ですもの。
しかし、インターネットの普及で文字離れなどと云われていますが、生身の手で書かなくなったというだけで、かえって手軽なので、人はメールによって、逆に文字で伝えること、文字を読むことに関心や興味が増しているというように、私には思えます。
年賀状作成の本が人気なのも、その証拠ではないでしょうか?
年賀状は古くからある日本の伝統行事です。もちろん、外国にだってハッピーニューイヤーカードはあることでしょうが、日本のように神社の初もうでとセットになったような神事の一つのような厳粛な礼儀としての感覚はないのではないでしょうか?
儀礼と云えば儀礼です。お歳暮を虚礼として廃そうという動きもありましたね。年賀状も虚礼と云えばいえるかもしれません。
しかし、違うと思います。年の初めにあたって、その宛名の人、個人に向かってはもちろんですが、その年の平和を祈る心を伝えようとしているのだと思います。
年賀状は祈りだと思います。だから、その伝えようとしている心は「美しいもの」だと思います。かつて、美しい日本の私といった作家がいらっしゃいましたよね。多分、同じような意味ではなかったのでしょうか?年賀状も、その美の中のひとつに入ると思います。自然が美しいというように、年賀状が伝えようとする心が美しいのだと思います。

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